ブログ《存在の痛みへの寄り添い》

尊厳性を守る

2024年12月30日 07:25

支援活動を進めてきて、私は、

「人が人として生きる」ということを

深く考えさせられる多くの機会を

得られました。


 

 

このブログを読んで頂いている方は、

多くがお子さまがひきこもりや不登校の

当事者であられると思いますが、

お子さまの問題を通して、

「生きていく」ということを

考えてみられたでしょうか。


 

 

青年たちは、生きることに戸惑い、

苦悩し、これからを生きていく覚悟

できないでいます。

 


 

私がかねて、親御さんに

お伝えしていることがあります。

決してこれだけはやってはならないこと。

 


 

それは、ひきこもっているわが子の

一生面倒を見ることです。




もちろん、精神疾患や障害から

ひきこもっている場合は別です。




いわゆる「社会的ひきこもり」の場合は、

社会参加の可能性が充分にあるわけです

から、八方手を尽くしきれていない段階で、

あきらめてしまうことは避けるべきだと

思うのです。

なぜか。

 


 

わが子の尊厳性を守ってあげられないからです。

「尊厳性」というのは、“生きる意味”です。




人は、それぞれのはたらき役割をもって

生まれてきます。

それが“個性”であり、

存在の価値意義です。


 

 

存在の意義は、認識されてこそのものです。

認識されたことで、

そこに存在が生じるんです。

ですから、

社会の中で他者と関わって生きてこそ、

尊厳性が保たれるのです。

 


 

一生家の中だけで過ごし、

酒を酌み交わす友人も、

愛し合う恋人もおらず、

周囲から求められる機会を得られぬままで、

はたして当人は

幸福感を感じられるでしょうか?

 

 


生きていくことは、

食事が与えられていればかないます。

しかし、

命を活かしていくことは、

頭と手足を使って、

自己の役割を果たさなければ

成しえないのです。




不登校、ひきこもりの青少年たちが

抱えているものは、

“存在の痛み”なのです。


(続く)






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家族心理教育コンサルタント 中光雅紀

ひきこもり・不登校相談

なぜ起こったか、原因は何か、何から始めたらいい

のかを具体的にアドバイス致します

https://mbp-japan.com/fukuoka/search/area:40/genre:9:9009/

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