ブログ《存在の痛みへの寄り添い》

感覚で判断する子どもたち

2024年12月13日 09:49

最近の若者たちは、

「ムカつく」という言葉をよく使いますが、

教育学者の斎藤孝氏は、

「ムカつくは、基本的にその当人や事物に

怒りを向けられなかった時、その後に使う言葉」

だと述べています。


 

 

つまり、相手に対して、

適正な意思表示をできないでいるのです。




「伝えて反感かうくらいなら、

言わないでいよう」

という具合です。




傷つけたくもないし、

傷つきたくもないからです。


 

 

私がかねて彼らに接していても感じるのは、

意見の食い違いが、即争い、傷つけあいに

なると思い込んでいるふしがあります。




こういった思い込みの背景には、

幼い頃から家庭内で、両親間の口争いを

頻繁に見せつけられていたといったことも

少なくありません。


 

 

こうなると、到底集団生活は

困難なものとなります。

それまでの交友関係の範囲でしか

人と関われなくなり、

クラス替えや転校、進学などを機に、

新たな人間関係を構築していかなければ

ならない場面で、立ち止まってしまうのです。




やがて、既存の友人との交流さえも

避けるようになり、

家族という血縁関係の中だけでしか、

自分の存在を確認できなくなり、

ひきこもるのです。

 


 

先ほどの「ムカつく」とあわせ

「キモイ」といった言葉もよく聞かれますが、

これらは、いずれも

喜怒哀楽といった感情的なものというより、

快、不快の感覚的な表現です。

あくまでも自分自身の内側から発する

個人的な感覚です。

 

 


今の子どもたちには、

他者と自分との比較の中で、違いを認識し、

独自性を自覚していく視点が不足している

ように感じます。

違いそのものを否定的に見ている傾向も

あります。

「一緒でないといけない」といったように。


 

 

このあたりに関しては、

親や大人たちがそうした認識を

植えつけているようでもあります。

学校の現場でも、個性の尊重と言いながら、

実際やっていることは、横並び同列化です。

 


 

ご紹介してきている人間主義心理学のマズローは、

自己実現している人は、

躊躇することなく孤高を保つことができる

と述べています。




他人が自己と見解の一致が見られるか否か

を問わず、自身が能動的で責任ある自己決断の

主体であるがゆえに、相手の人格を尊重でき、

他人があえて自分の考えに同調したり

賛成したりすることを求めないし、同様に

自分が不本意に他人に同調することもしない。


 

 

このようになるためには、

持続性安定性に欠けた感覚的なものを

よりどころとするのではなく、

社会的な関わりあいの中での客観性をもった

自己認識が必要です。

 

 


一貫性をもったアイデンティティが未構築

である不登校、ひきこもりの青少年たちは、

強迫的に群れようとするあまり、

ちよっとした否定、反発にも過敏になり、

自分が疎外されたと思い込み、立ちすくみ、

閉じこもってしまうのです。

 


 

こうした背景にあるものが、

アタッチメント・トラウマ(愛着欲求の欠乏)

であり、承認欲求の渇望は、

人格の統合性を妨げ、集団の中での立ちいち、

居場所を得られなくしてしまうのです。




ですから、孤独を好むタイプが

不登校、ひきこもりになり易いわけではなく、

孤独を過度に恐れた結果、

孤立してしまったというわけです。






*********************************************

家族心理教育コンサルタント 中光雅紀

ひきこもり・不登校相談

なぜ起こったか、原因は何か、何から始めたらいい

のかを具体的にアドバイス致します

https://mbp-japan.com/fukuoka/search/area:40/genre:9:9009/

*********************************************