ブログ《存在の痛みへの寄り添い》

親の喜ぶことをしたくない裏(本音)の理由

2026年09月02日 07:13

前回述べた、


家を離れず


「迷惑をかけられた」と非難する


親のもとから遠ざかろうとしない


訳のひとつ、


与えてもらえなかったものを


与えてほしいというのは、




愛してくれていた(いる)という実感を


得られずにきた青年であれば、


今愛してほしいのです。




成人してもなお養育され


世話をしてもらえるということは、


見放されず愛されているという


実感の助けにはなります。




また、ありのままの自分を


認めてもらえなかった青年であれば、




「親の一方的な期待に


応える必要はない」


そのままの自分を了承してもらえれば、


自身を肯定的に


受け止められるようになるでしょう。




いずれも一方で


「今さら」という気持ちはあっても、


どこかでそれを望んでいるからこそ


離れようとしないのです。




では守ってほしい脅威というのは、


何でしょう。




最も多いのが、


社会の中で他者との関係を保ちながら


自らの行動に責任をもって


生きていくことへの恐れです。




親に依りすがる生き方は


決して自由ではなく、


個として生きている尊厳性をも


失いかねない状態ですが、




その閉塞感不満足感


はるかに凌駕するほど


社会の中で生きていくことが


ためらわれるのです。





背景にいじめ体験や


肯定的な自己認識をもてずに


育ってきたことがあります。




何かに新たに取り組む際の


不安感の方が


とてつもなく大きいのです。




失敗して傷つくことがいやだし、


新たな環境で、


周囲から受け入れられないのでは


という恐れがあるからです。




ですから、「現状のままでいたい」


本音の前提であり、


でもそれを正当化する大義名分として


「親の喜ぶことをしたくない」


と主張するのです。




迷惑をかけられた分、


親が困ってしまう事態(自立しないこと)


を作り続けることを


して返しているわけです。




実はこの「喜ぶことをしたくない」


というのは、


「喜ぶために頑張ってきたのに


報われなかった」


という嘆きでもあることを


認識してください。




親の自己都合による期待に


応えようとして果たせず、


自分に価値を見い出せなくなった


ために、人前に自分をさらすことが


できなくなってしまった。




その無念さ悲哀


込められているのです。


(了)





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